ミラクルおブス変身物語 ~沖縄ヒッチハイクシリーズ~
『沖縄ヒッチハイク1』
ミラクル―ジュウマルフ奈美
当日の私は典型的な優等生だった。
勉強も部活もすべてに一生懸命。何よりも勉強が大好きだった。
一生懸命に勉強して良い点数を取ることが、自分のすごさを知る唯一の方法だった。
母に勉強しなさい!なんてことは1度も言われたことがなかった。
むしろ勉強するなと言われるほうが多かった。
母「そんなエラそうな態度とるくらいだったら勉強なんてするな!」と、いつも叱られていた。
えらそうな態度というか、母と何を話したらいいのか分からなかったからだ。話そうとも思わなかったというのもあるだろう。
ある試験の結果、友達が100点で、私が98点だった。
たった2点の差・・・
たった1問の点数なのに、私は許せなかった。
(なんでこんなミスをするんだよ!なんでなんでこんなバカなミスをするんだよ!)
自分で自分を責め続けるばかり。
頑張っても頑張っても、その努力が報われないときがある・・・そう自分なりに悟ってしまった14歳。
もし、そうであるならば、今までの自分がしてきたこの努力はなんだ?
勉強して勉強して勉強して・・・この努力が無駄のように感じてきた。
地道な努力がバカらしく思えてきた。
そんな時に高校受験をむかえる中学校3年生に進級した。
自分の頭の中では、一番難関の高校に入って周囲から、頭の良い人間だと思われて優越感にひたりたい。だから、たくさん勉強をしようと思うのだが、いざ勉強を始めると、無性に何かを食べたくなり、食べ始めると自分をセーブできず、満腹になっていても無理やり食べ物を胃に詰め込むように食べ続けていた。
そして、その食べた直後に口の中に指を突っ込んで食べたものを無理矢理に吐くという、いわゆる過食症になっていた。
頭の中ではもう何も食べないで、勉強に集中したいのに、頭とは反対の行動に出てしまい以前のようには勉強ができなくなっていた。
前は勉強することが大好きだったのに、いつの間にか勉強が大嫌いになっていた。
しかし、そのときはなぜ食べてしまうのか?なぜ自分をコントロールできないのか?がまったく分からなかった。
自分はとても意志が弱く、最低な人間だと思っていた。
(世界中には食べたくても貧しくて食物を食べることができない子供たちがたくさんいるのに、私は食べたくないのに食べてしまい、そして食べた物を吐いてしまう。なんて贅沢な悩みで最低な人間になってしまったのだろう…)と自分を責め続けていた。
過食症はひどくなる一方だった。机に向かって勉強する時間よりも、ゲロしてそれを処理する時間のほうがはるかに多くなっていた。
誰かに自分の症状を相談していたらよかったのだが、このときは過食症という病気があるとはまったく知らなかった。
だから、自分の意志の弱さを責めて、この異常行動を誰にもばれないように隠していた。
中1、中2と一生懸命勉強したおかげで、中3でボロボロになっていても、なんとか志望校には合格できた。でも勉強が嫌になっていたから、普通高校を選ばずに、高専という工業系を選んだ。その方が専門的で面白いからなぁ~と思った。
しかし、高専に入学してからは一切勉強しなくなっていた。
よくある高校デビュー!!
勉強は完全OFF、そして遊びにスイッチON!
毎日夜中まで遊びほうけていた。いつの間にか学校にもいかなくなっていた。
このときから、俗にいうヤンキーともからむようになり、優等生の仮面はどんどんはがされていった。
でも、そのおかげで今まで我慢していたことが一気に爆発することができた。
公園の公共物や窓ガラスを片っ端からぶっ壊したり
見ず知らずの人様の車に乗っかってぶっ壊したり・・・
本当は、物を破壊するというよりも、自分を破壊していた
今までのまじめで一生懸命のガリ勉のつまらない自分を破壊するかのようにぶっ壊していった。
ぶっ壊したあとは快感だった。
新しい自分が作りかえられたような気がした。
しかし、唯一ぶっ壊しても快感にひたれないものがあった。
それは 母を殴ったこと
親を殴ってしまった。
親よりも体が大きくなって成長した私が、母を殴るなんてことは簡単だった。
簡単だったけど、ほんとうにほんとうに重すぎた・・・
一時期なくなっていた過食症がまた復活した。人や物に自分の怒りをぶつける期間は終了し、また再び自分をぶっ壊すようになっていった。
吐けるまで大食いして、一気に吐く。
そしてまた大食い。
こんな自分を救う方法はもう死ぬことしか道がないと当時はホンキで思っていた。
ブタのように食べまくることしかできない私の人生って・・・
最悪や・・・
だからやっぱり死ぬしかもう、道はない
つづく・・・
つづきはこちら→『沖縄ヒッチハイク2』
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