ミラクルブサイク変身物語 ~沖縄ヒッチハイクシリーズ~
『沖縄ヒッチハイク2』
ブタのように食べることしかできなくなった自分の人生に見切りをつけて、いかに上手に死ねるのかと毎日模索していた。
あるときは、家出をしたり。
あるときは、精神科に入院をしてみたり。
精神科に入院しているときに飛び降り自殺を図ろうと屋上に行って柵を越えた。
下を見た。
・・・この場所で落ちるとなるとたぶんあの車椅子のおじぃ~に当たるか、もしくは血が飛び散るかもしれない、
万が一、おじ~に当たると、死んでしまう・・・
それはかわいそうだわ~と思い、落ちる位置を変えてみた。
そして、靴を脱ぎ、落ちる前に母に祈りをした
「お 母さん、お兄ちゃんいつもありがとう。迷惑をかけてごめんね・・・私がいなくなったらきっと幸せになるよ」そう祈った後に空を見ると、サイコーにキレイ だった。キレイすぎて屋上の柵を越えたまんま見とれていた。死んだらあっちにいけるんだなぁ~と思うとうれしくなった。(死んだら地獄よりもやっかいなと ころに落とされるとはこのときはまったく知らなかった・・・)
すると・・・・
ドドドドォーとどこからか音が聞こえてきた。後ろを振り返ると、十数名の看護婦さんがかけつけていた。やめなさい!!とけたたましい声が飛び交っている中、あっというまに私は救助されてしまった。
見習い看護士さんが一言、言ってきた。
「あなた精神科の子でしょ?」
皮肉という思いをロールキャベツのように丸めてやんわり言ったようだが、まったくロールされてなかった。
飛び降り=精神科の患者という方式が成立していたようだ。
その後、やっぱり反省した。
死ぬにしても、人に迷惑をかけて死んではいけない。死ぬこと自体が人に迷惑をかけるかもしれないが、今回のように看護婦さんやら、飛び散った死体の始末、下の住人などのことを考えて、死んだ後の始末にも迷惑をかけてはいけないと思った。
次に考えたのは、睡眠薬の大量摂取。
精神科で渡された睡眠薬というのは1粒飲んだだけでも、10分後にはクラクラ~としていつの間にか眠ってしまう強力な薬だった。それをずっと溜め込んで1週間分を一気に飲んでみた。「明日にはもう明日はない。これで私は終わり・・・」そのまま息を引き取る・・・つもりだった。
が、、、、
ピキピキピキぃ~!!!!!というものすごい痛みの頭痛と共に目を覚ました。
起きてもまともに歩けなかった。
が、 しかし、わたしは生きている・・・・。
睡眠薬では、そう簡単には死ねないようだった。
その後もあらゆることをしてためしたが、まったく私は頑丈で死ぬまでには至らなかった。
そしてやっと気づいた。
死ぬ勇気があるなら生きてみろ!!
死ぬことに対して怖くはなかった。
そう、生きることが怖かった。
(もういい、わかった!わかったよ~生きてやるよ)自分に言い聞かせた。
そんなある日、学校の先輩がヒッチハイクをして大阪から金沢市(石川県)まで帰ってきたという話が飛び込んできた。
こ れを聞いたときに、私は「これだ!!私もやろう!!」と飛びついた。
当時、お笑いコンビの猿岩石が世界横断ヒッチハイクをしていて、彼らは3日間飲まず食 わずの生活をしていた。
それを見て、私もそんな生活を過ごしたかった。家にいれば、食べてしまう、家にいなければ食べないから、過食症が治るだろうなぁ~ と思っていた。
私も海外でヒッチハイクをしたかったが、当時17歳の私には海外の行き方が分からなかった。だから、とりあえず、日本の海外っていうと・・・・沖縄じゃん
よぉっしゃ!いざ金沢から沖縄ヒッチハイクの横断!!をやろう!と思い立った。
つづく・・・
つづきはこちら→『沖縄ヒッチハイク3』
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